初心と原点 地域おこし協力隊としての1年 

昨年4月1日、地域おこし協力隊として富山県立山町で活動しはじめて、明日でちょうど1年になります。私が支援の仕事をしたいと感じた原点は、阪神淡路大震災でした。そして昨年、私のフィールドは、10年間働いていた発展途上国から日本の地方にかわりました。ただ初心は今も変わっていない。

 

以下の文章は今から4年半前、20067月に私が中米ホンジュラスで国際協力の仕事をしていたときに書いたものです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

初心

 

国際協力の仕事をしたいと初めて感じたのは、20歳のときだった。

 

1995年1月、阪神淡路大震災から2週間後、東京の大学2年生だった僕は、神戸にボランティアに向かった。災害の現実に直面し、技術も知識もなく、何もできない自分がいた。2週間の滞在で僕ができたのは、人々の話を、真剣に聞くことだけだった。体育館で避難生活をしていた、明るいおばさんを毎日訪ねた。ある日、おばさんは僕に言った。「誰にも言っていないのだけど、実はもう癌で先が長くないの。あなたは私とは縁もゆかりもない人だから言えるけど」。帰り道、おばさんの静かな顔を思い出し、自転車にのりながら涙がでた。

 

それから一ヵ月後、僕はフィリピンにいた。友人の大学が主催する、フィリピンの学生との国際交流が目的だった。途上国というものがまったく初めてで、夜のセブ空港出口でのギラギラとした視線、圧倒的な猥雑さと熱気に正直びびった。しかし、この2週間のフィリピンの滞在の後、僕はまったく違った自分を発見することになった。シリマン大学学生との過ごした時間は、自分の中にあった「途上国」という偏見を、自分自身に突きつけた。無知という「壁」をつくっていたのは、自分だった。時間が許す限りできるだけ彼らと話し、冗談を言い合い、馬鹿な振る舞いをした。そういう僕を彼らが笑ってくれるのがうれしかった。いままで心に知らずにつくっていた「壁」、それへの罪悪感が薄れる気がした。

 

本当の貧困というものも初めて感じた。漁港のそばのスラムにある、毎年台風で流される家に住んでいた家族。家財道具がほとんどない、ダンボールの家に住む一家。シリマンの学生を通訳として、いろいろ質問したことは覚えている。ただ答えは何も覚えていない。憶えているのは、実はまだ30代前半であったであろう女性の、希望というものがまったくない目だけだった。そしてつきつけられた現実に、あまりに無力な自分自身をそこに見つけた。何が自分にできるだろうか。自分探しが始まった。

 

あの年が自分自身の形成に大きな影響を与えた。あれから11年あまり。あれから今までがつながっている。まさか自分がその後、「青年海外協力隊員」になろうとも、また「国際協力機構専門家」という立場で仕事をするなんて思いもよらなかった。中米で6年を越す時間を過ごすなんて想像もできなかった。これもいろいろな人との「縁」によるものなのなのだろう。本当にありがたい。初心を忘れないうちは、またこの初心のもとで行動することができるうちは、もう少し続けてみようかと思う。

 

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そしてその4年後、今度は富山県立山町で地域おこし協力隊になるなんて、そのときにはまた思いもしなかった。それも何かの縁なのだろう。

 

地域おこし協力隊になっての1年間。いろいろなことがあった。楽しかったこと、嬉しかったこと。そしてもちろん辛かったこと、苦しかったこと、悔しいこともあった。うまくいったことも、うまくいかないこともあった。ブログにかけないこともある。それでもここ富山で素晴らしい出会いにとても多く恵まれたのは、本当に幸運だった。

 

そしてその一年の最後に、偶然帰省していた千葉でこの地震にあった。この大震災に直面し、僕に今できることは何なのか。今の僕の立場を考えると、なかなか現地に行って支援をするのは難しいかもしれない。それでもできることを少しでもしていきたい。いま僕がここでできることに一所懸命になろう。そうしてまた一歩踏み出していきたい。初心と原点を思い出した2011331日。

 

 

富山県立山町「地域おこし協力隊」

小島 路生

ツイッター: http://twitter.com/michio_kojima

ホームページ http://tateyama-kokoro-village.jimdo.com/

メールアドレス: tateyama.kokoro.village@gmail.com